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プラチナの歴史

<プラチナの歴史>

初めてプラチナが使用されたのは3000年以上も前のことでエジプトのファラオの装身具に使用されていたと言われています。

現在残っている一番古いプラチナを使った作品はルーブル美術館で展示されている「テーベの小箱」です。

 

紀元前100年頃に南アメリカにおいて先住民であるインディオ達がプラチナの装身具を身に付けるようになっていました。

しかし彼らがどのように融点の高いプラチナを加工して身に付けるようになったのか、その技術は今でも謎に包まれています。

 

中世になると、プラチナが豊富にある南アメリカをヨーロッパ人(スペインのコンキスタドール)が征服し始めました。

彼らは融点が高くなかなか解けない銀色の粒を見てその価値を理解することはありませんでした。

現在プラチナと呼ばれているその名称は、この「銀の小粒」という所から命名されたのです。

 

コンキスタドールたちの手によってヨーロッパにプラチナが持ち込まれると、1751年にスウェーデンの科学者テオピル・シェファーによって、プラチナが学術的に貴金属として分類されました。

ここから、ヨーロッパ各国は競ってプラチナの精錬、冶金、加工の技術を研究するようになったのです。

 

ここからヨーロッパ各国はプラチナの精錬・加工技術を競って開発していきます。

その結果最も成果をだした国はフランスでした。

 

その当時の王であるルイ16世は「プラチナは王様のための貴金属だ」と言いプラチナからできた装飾品をたくさん作りました。

またスペインのカルロス4世もプラチナを愛し、宮殿内に黄金の間を超えるプラチナの間を作らせました。

 

 

19世紀になるとプラチナの価値はジュエリーでも認められるようになっていきます。

 

彼はプラチナを初めてジュエリーに取り入れて、繊細で軽やかな宝石だけを連ねたような華麗なジュエリーをつくりだすことに成功しました。

 

こうしてプラチナは宝石として重宝されるようになっていきました。

 

一方日本にプラチナ素材が知られたのは、大正6(1917)年に、大正皇后のティアラを初めて国産化された頃と言えます。以来多くの宝石店がプラチナを手がけます。

また、昭和天皇ご成婚時に制作されたのが、唐草モチーフのプラチナ製ティアラです。

ごく薄いプラチナ枠の縁に施されたミルグレインが施された美しい作品です。

 

今回は貴金属の王と呼ばれるプラチナの歴史をご紹介しました。

今やジュエリーとして一般的な素材となったプラチナですが、加工の難しさからあまり重要視されていない時期もあったことに驚きですね。

 


 

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