第三章 【14の有名なダイヤモンド】
≪TRESOR神戸本店 H.P≫
こんにちは。平井です。
本日は、昨年ご紹介の途中でした【14の有名なダイヤモンド】の第三章をおおくりします。
今回も、鑑定機関(中央宝石研究所)の宝石の知識より14のダイヤモンドの
名前と由来をお伝え致します。今日、ご紹介するダイヤモンドは
【スター・オブ・ザ・サウス・ダイヤモンド】 Star of the South Diamond
1853年7月ブラジルのバガジェム鉱山で奴隷が発見した、原石が261.88ctのダイヤモンド。
ブラジルで発見されたダイヤの中で一番大きいものです。アムステルダムで128.80ctの
クッション・ブリリアントに研磨されました。研磨には2ヶ月以上かかりました。
無色のダイヤで内部にローズ色の閃光があります。1862年のロンドンの展示会でこの
ダイヤモンドは展示され、インドの国王に4万フランで売却されました。
現在はボンベイの個人所有となっています。
【フローレンティン・ダイヤモンド】Florentine Diamond
137.27ctのインド産ダイヤで色はレモン・イエロー。ダイヤの研磨法を発見した研磨師
ベルケムがブルゴーニュ公シャルルのために研磨しました。
ブルゴーニュ公が1477年のナンシーでの戦いで命を落とした時、他の宝石と一緒に身につけていた
のをあるスイス人が偶然に見つけ、ガラスだと思い安価で売りました。その後様々な人の手に渡りました。
1665年フランスの宝石商タベルニエがフローレンスのメディチ家を訪ねた時、トスカナ大公が彼に
黄色のきれいなダイヤモンドを見せたと記述しています。
1737年オーストリアの女王マリア・テレジアのロレーヌ公国のフランツ・トスカナ大公との結婚の際に、
ハプスブルグ家の王冠に王室の宝石と してセットされました。後にこのダイヤはペンダント・ブローチに
セットされ50,000ドルと評価されました。1918年王権の崩壊の際、皇帝カールI世はスイスへ亡命する時に
その石を一緒に持っていったといわれています。その後のこのダイヤの行方は全く知られていません。
【グレート・ムガル・ダイヤモンド】Great Mogul Diamond
タージ・マハルを建てた事で有名なムガル皇帝シャー・ジャハーンの息子アウラングゼーブ帝が
フランスの宝石商タベルニエにこのダイヤを見せたと言います。皇帝の財宝を見ることを許された
最初のヨーロッパ人であるタベルニエの話によると、グレート・ムガールは1550年頃にゴルコンダの
近くの鉱山で発見され、原石は787.50ctの重さがあったといいます。しかし、タベルニエが見たときは
280ctしかなく、卵を半分にしたような形と記しています。実は、このダイヤには内部に沢山のきずが
入っていたために、研磨師に何度もサイズを減らさせることになったのです。研磨の間違いから、
元の780ctから280ctしか残らなかったのでした。ペルシャの王、シャー・ナディールによる1739年の
デリーの陥落により、グレート・ムガールやコー・イ・ヌールを含む皇帝の財宝はペルシャ人の手に
渡りました。1747年にシャー・ナディールが彼の将校たちに殺害された後、全ての宝石の足取りは
失われます。だいたい同じ形をしたオルロフではないかといわれています。
今日は、ここまで。
続きは、また明日以降アップします。
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